〔壮大なスケールを実感した一夜〕
世紀の大発表!
昨夜は驚いた。なんとブラックホール撮影に成功したというのだ。この報を耳にして,彼のホーキング博士とアインシュタイン博士のことを思い起こした方も多いのではないだろうか。
ブラックホールは,いわずとしれた“宇宙の神秘“だ。それはアインシュタイン博士がずっと昔に完成させた相対性理論の世界で描き出された“空想の世界“だった。
それがなんと,実際に映し出されたという。これは世紀の大発表だ。私は興奮しながら映像の中継に集中した。
理論と実際との間には
アインシュタイン博士の物理学観は特殊相対性理論から一般相対性理論へと進化したが,いかに
「特殊から一般へ変わった」
と強調されようとも,それはやはりどこか絵空事であり,私たちの生活に影響を与える(いや,本当は影響を与えるどころの騒ぎではないのだが)とは思えない,想像できない世界だった。
だからこそ,彼は相対性理論ではノーベル賞を受賞できなかった。ノーベル賞は〈実際に〉世界に貢献した人物を受賞対象にしているので,相対性理論が実際に間違いなく正しいという証明がなされず,かつ,それから導き出される物理的現象も確認できなかったため,受賞対象にならなかったのだと考えられている。まあ,選定委員の理解能力を超えていたからという,笑えない説もあるけれども。
理論と実際の間には,とても深い溝があったのだ。だから相対性理論が実社会に適用できることを証明するためには,理論が現実世界を動かしていることを端的に示す実存物の存在をきっちり提示することが求められたのだ。
そしてその系譜はホーキング博士へ
時代は流れて,またまた不世出の天才が出現する。ホーキング博士だ。彼はブラックホールに関して数々の思索から導き出された,すごい現象を予言していく。そしてそれが徐々に証明されつつあり,宇宙の神秘の解読の扉に手をかけようかというところにまでやってきたのだ。
ブラックホールの存在はほぼ間違いないと言われてはいたが(そしてこの存在証明が,相対性理論の正しさを実証すると見なされている),実際にブラックホールを見ることはなかなか叶わなかった。
ホーキングの予見力を以てしても,ブラックホールの“発見“には,彼の存命中には至ることができなかったのだ。
事象の地平線
アインシュタイン-ホーキングの系譜で脚光を浴びたものの一つに,〈事象の地平線〉がある。
実世界で起こっている物理現象を周囲に伝えるためには,情報を伝達する手段が必要だ。それは具体的には,光であり,音であり,電磁的な動きになる。ブラックホールでは,それらが全て届かなくなる。だから,ブラックホールの中で起きていることは,分からないのだ。こういう,情報伝達の限界のことを〈事象の地平線〉と表現する。
ホーキング博士はブラックホールの様子を生き生きと描出して見せたけれど,それは彼の理論物理学者としての“語り“であって,実際に目で見たわけではないのだ。理論を推し進めていくと,こういう結論が導き出される,そういう発想で語られた彼のブラックホール観は,まるでSFの世界のようだったがゆえに,多くの人々に歓迎された。
しかしアインシュタイン博士やホーキング博士に見えていた世界は,他のだれにも見ることはできず,それ自体が〈事象の地平線〉の向こうの世界の話のようだった。
物事をどのように説明するか
はくちょう座にあるブラックホール(X−1)がどのようにしてその存在が証明されたかをみると,物事の説明方法の変化を見ることができる。
これはつまり,連星(双子星)の片方がブラックホール化して他方を吸い込みつつあるという,たいへんドラスティックで映画的な現象である。そこには何も見えていないのだが,その地点に向かって星の成分が動き,消えていく。だからこれは目には見えないけれどもブラックホールなのだろうと説明されているのだ。
物事の説明は,そのものズバリだけでなく,その周囲を説明し形をくっきりと浮かび上がらせることで為すことができる。そんな技法に私は感動すら覚えた。なるほど,と膝を打ちながら。
強固で明確な地平線は一里塚
今回の発見や撮影もまた,物事や道理の説明を様々な迂回路をも想定しながら進められたわけで,私はそこに人類の進歩と不変の真理を見るのだ。この発見と発表は,物理学の新たな地平を切り開く一里塚となるだろう。こんなすごい時代に生きている幸運を強く感じながら,私は眠りについた。